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死とは何か イェール大学[第5講]魂の不滅性。プラトンの見解

死とは何か[第5講]魂の不滅性についてのプラトンの見解

高校の時、プラトンの対話篇はよく読みました。だから、正直「読む必要なし」と言うのがとても辛い。ギリシャ神話や悲劇と同じく好きなプラトン!
そして、ソクラテスの死……。

ジャック=ルイ・ダヴィッド「ソクラテスの死」ソクラテスは若者を「哲学」で堕落させた罪で死刑(ダヴィッド画)

でもはっきり書きます、[第5講]「魂の不滅性」についてのプラトンの見解も読む必要はなかった。とても、懐かしかったけれど……
[第4講]デカルトの主張同様、観念論は死を悩んだり恐れたりする人には、無意味なのかもしれません。

プラトンといえば、イデア論

プラトンは、完全なイデアの世界を基にして、不完全な現実世界が生まれたとしています。人間も動物も同じ。だから、プラトンの天国=イデア世界に行くことが幸せと言っています。

死を練習せよ——「プラトンの天国」へ行く方法

 身体から気を逸らせば、魂はイデア(著者は「形相」と言い換えています)にもっと集中できる。そして、もしそれが得意になれば、つまり、生きている間に修練を重ね、自分自身を身体の渇望から切り離せるようになれば、身体が死んだとき、魂はプラトンのこの天国のような世界に行き、神々や他の不滅の魂と心を通わせ、イデアについて考えることができる。
逆に、生きている間に自らを身体から切り離しておかず、身体の関心や欲望にがんじがらめになっていると、身体が死んだときに魂は吸い戻され、別の身体の中で生き返る。運が良ければ、別の人間として生まれ変わるが、それほど運が良くなければ、ブタやロバやアリなどとして生まれ変わる羽目になる。
だから人生の目標は、死を練習すること、すなわち自分を身体からできる限り切り離すことであるべきだ、とプラトンは言う。ソクラテスは、これをうまくやってのけたと思っている。
だから、死に直面していても悩み苦しむことなく、幸せだ。身体と魂の最終的な分離が起こり、自分は天国に行かれるだろうから、幸せなのだ。

「非物理的である心(魂)は不滅」の根拠 イデア論

(1)イデアは永遠で非物理的である。
(2)心はイデアを把握できる。だが、
(3)水遠で非物理的なものは、永遠で非物理的なものによってしか把握できない。したがって、
(4)心は永遠で非物理的なものに違いない。さらに具体的には、
(5)心は非物理的なものに違いない。すなわち、魂に違いない。 そして、
(6)魂は永遠のものに違いない。

プラトン哲学の形而上学は、(1)(2)の二つの前提を与えてくれるとしよう。その2つからは当然、心は永遠で非物理的なものを把握できることになる。それならば、「永遠で非物理的なものは、それ自体が永遠で非物理的なものによってしか把握できない」という、3番目の前提を加えると、「心は永遠でありかつ非物理的なものであるに違いない」という、(4)に記述された主要な結論が得られる。

しかし、「水遠で非物理的なものは、それ自体が永遠で非物理的なものによってしか把握できない」というのは正しいのか、それとも正しくないのか?

魂の不滅性についての「形相の本質」に基づく主張

プラトンの「イデアの本質に基づく主張」は受け容れられない
なぜ第3の前提を信じなくてはいけないのか? 普通はXとXでないものの間の障壁を乗り越えて、XでないものがXを研究できるのなら、プラトンのイデアを扱っているこの特定の例では、いったいぜんたいなぜ、その障壁が突然乗り越えられなくなるのか?
さらに言えば、物理的な身体には非物理的で永遠のイデアが把握できない理由などあるのか?

第3の前提を信しるためには何らかの理由が必要だが、私の見る限りでは、じつはプラトンはまったく理由を示していない。というわけで、プラトンの第1の主張、すなわちイデアの本質に基づく主張は、成り立たないと私は考える。

このほか、イデアの「単純性」の考察がありますが、イデア論よりもっと観念的で、ただの言葉のアヤにしか聞こえません。この辺で好きなプラトンでしたが、まとめるのは止めます。

ところで、あなたはそんなプラトンの天国=観念的なイデアの世界に行きたいと思いますか? もっと、今の身体がこのままある天国の方へ、不完全だとしても行きたいと思いませんか?

[第5講]「魂の不滅性」についてのプラトンの見解 目次

ソクラテスを通してプラトン哲学を読む
プラトンの形而上学——身体の死後、魂は生き延びるのか?

エイドスー「心(魂)」の持つ特別な能力とは?
ソクラテスが「自分の死」を歓迎する理由
プラトンの「イデア論」①——数の概念
プラトンの「イデア論」②——普遍性と領域
プラトンの「イデア論」③——物事の本質と永遠性
死を練習せよ——「プラトンの天国」へ行く方法
『パイドン』における本講の課題

魂の不滅性についての「形相の本質」に基づく主張
「非物理的である心(魂)は不滅」の根拠
「仲問どうし」でなければ、わかり合うことは本当にできないのか?
それでもプラトンの『形相の本質に基づく主張」は受け容れられない

魂の不滅性についての「単純性」に基づく主張
破壊できるもの、できないもの
「破壊できないもの」とはいったい何か?
単純性についてのプラトンの主張のまとめ
「魂は破壊不能、あるいはそれに近い」——プラトンの暖昧な態度が示すこと
魂はけっきょく、不減なのか?
弟子シミアスの異論
プラトンの見当違いの反論
プラトンに代わるシェリー先生の反論
プラトンの「見えない」は「感じられない」といっ意味だった?
再び、「見えないものは破壊できない」を検証する
プラトンの「見えない」は「検知できない」といっ意味だった?
魂もまた「検知できる」——単純性に基づく主張についてのまとめ
そもそも、魂は本当に「変化しない」のか?
「魂の単純さ」を巡るシェリー先生の疑問

シミアスの異論について——
「身体のハーモニーとしての心」とはどういうことか?
物理主義に対するプラトンの異論①
物理主義に対するプフトンの異論②
物理主義に対するプフトンの異論③
物理主義に対するプラトンの異論④
プラトンの物理主義批判に対するシェリー先生の評価