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江原啓之のスピリチュアリズム「宿命」と「運命」の疑問

「宿命」とは、生まれる前に自分自身で決めてきたカリキュラムです。生まれる時代や場所、性別などに関わるものです。難しそうに見えても、自分自身で超えられない課題は選んでいません。

この宿命の上に、自由に「運命」をデコレーションしていくことができます。では、「宿命」と「運命」から、次のようなことは、どう理解すれば良いのでしょうか?

江原啓之のスピリチュアリズム「宿命」と「運命」の疑問⁉

流産?

この世に生まれることができないカリキュラム、親より先に死ぬカリキュラムなどがあります。親の愛情をより深く理解するために、そういう道を選んだのかもしれません。

また、自分で決めたカリキュラムを乗り越えられないかもしれないと思い、引き返してしまう子もいます。

不妊治療とクローン犬?

不妊治療は続けるにせよ、やめるにせよ自分で判断すべきことです。止めても、「頑張ったのにできなかった」と嘆く必要はありません。「これだけ頑張れたのだ」とポジティブに考えましょう。

クローン犬は、姿形に執着している人間の「小我」です。犬が好きなら、新しい犬を飼えばいいと思います。

虐待されること虐待されない子?

スピリチュアリズムでは、「子供は親を選んで生まれてくる」と言われています。しかし、「では、虐待を受けている子供は、それを望んできたのか」という疑問が生じます。虐待は「宿命」ではなく、「運命」で変えられます。

大家族であった時代から核家族になり、親と子だけの暮らしになり、互いに行き詰まります。すると、「子供とうまくいかない、子供が好きになれない」と感じる大人の方が自由がきき、横暴になり、子供にあたることがあります。「叱る」のではなく「あたる」のです。

虐待の裁判では、親が子供の「しつけ(叱る)」であったと言い訳することがよくあります。しかし、近所の人や地域の人が見て見ぬ振りをするのではなく、「運命」を変えていく努力が必要です。

短命か長命か?

短命=不運、長寿=幸福、というわけではありません。
「長生きした人は、全員幸せなの?」
「あなたは、何歳まで生きられれば幸せですか?」
と自問すれば、自分の幸せの定義がよくわかるでしょう。自分で判断すればよいのではないでしょうか。

殺す人と殺される人。殺人は宿命ですか?

これは難しい問題で、読んでもよく理解できない部分もありました。以下抜粋します。

でも本当のことを言えば、みな前世がどうあれ、殺そう、殺されようと思って生まれてくるわけではありません。修羅を生きて自分がどう乗り越えていくかを、殺し殺されることなく理解していけたら一番いいのです。もとよりこれは「運命の法則」ですから、人生がどう転ぶかは自分次第です。

殺人という罪は、言うまでもなくとても重いものです。殺人という罪を犯した人は、その悪しきカルマを返さなくてはなりません。これは、スピリチュアリズムについての深い理解がないと理解が難しいかもしれないのですが、実は、殺す人は、どこかの時点で心が殺されている人です。

つまり殺人は、「自分をどこかで生かしたい」という反応だとも言えます。もし心が完全に死んでいたら自殺するのが普通で、人をあやめようとは思わないでしょう。人をあやめるのは、まだどこかで「自分は生きたいのだ」と表現したいということだともいえます。だとしても、殺人という自分勝手な行為が、正当化されることなどあってはなりません。

最近目立つなと感じるのは、小我の殺人です。親の介護が十分にできないとか、障害者の子どもの将来を悲観して、無理心中する人が後を絶ちません。これは動機のうえでは愛があるわけですが、悲しいかな、しょせん自己愛なのです。

ここ数年は、ストーカーや「誰でもよかった」など身勝手な動機の殺人が目立ちます。闇サイトで知り合った男たちが、金銭目当てで若い女性を殺してしまった事件に胸を痛めた人は多かったはずです。このまま人が「フランケンシュタイン化」して、愛を忘れてしまえば、殺伐とした世相はいっそうひどくなるでしょう。この現世を見れば、この先も本当に理不尽な事件ばかりと思えることが後を絶たないかもしれません。

しかし、そうした事件を見るたびに、だからこそ、「霊的真理」への理解を深めていただけたらと思うのです。“人は死して死なない”ということを理解すれば、たとえどのような亡くなり方であったとしても、魂は安らいでいるということがわかるでしょう。そして、霊的視点で見れば、どのように憎い犯罪であっても、その相手を裁く必要は一切ありません。「カルマの法則」が必ず働きますから、あなたが罰さずとも、罪を犯した人間は、その悪しきカルマを必ず刈り取らなければならないのです。

終わりに

「宿命」とは、生まれてくる前に自分自身で決めてきたカリキュラム。
というといろいろな疑問が浮かんできます。
「なぜ流産するの?」
「なぜ、ある子供は虐待を受けるの?」
「早死にするのはなぜ、不幸なの?」
そして、「殺される人がいるのはなぜ?」

スピリチュアリズムは難しいです。読んでも、かなしかな! 実感として分かったと言えない自分がいます。