江原啓之 スピリチュアル「石上神宮」七支刀の神の剣

石上神宮・拝殿[写真出典]ウィキメディア(以下同じ)

石上神宮のご由緒

石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています。

石上神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。

(http://www.isonokami.jpより)

江原啓之 スピリチュアル「石上神宮」

古代信仰の中で異彩を放つパワースポット。
びりびりするぐらい強いエネルギーのある
聖地と呼ぶにふさわしい神社。

石上神宮

石上神宮は、昔からスピリチュアルなパワーの強い神社として有名なところです。一般的な知名度では、それほど高くないかもしれませんが、まさに知る人ぞ知る存在だといっていいでしょう。

ご祭神は、神武天皇の天剣などの霊力を総称して、石上大神としています。日本最古の神社のひとつであり、武門の統領だった物部(もののべ)氏の総氏神として、古代信仰のなかでも独特の異彩を放っています。

七支刀(ななつさやのたち)

天神庫(あめのほくら)という宝物殿には、数多くの神宝類が保管されていました。特に「七支刀」(ななつさやのたち)と呼ばれる、剣の左右に枝のように刃の出た神剣は、古代の日朝関係を考察するうえで重要な意味を持つ文化財として、国宝に指定されています。

実際に石上神宮を訪れてみると、確かに強いパワーを感じます。しかも、修験道の霊場に近いような、鋭いご神気の宮なので、魂の修行をするには、最適の場所だといっていいのではないでしょうか。

ただし、エネルギーの強さだけに惹かれて参拝するようでは、あまり望ましい結果にはなりません。目先の現世利益を願ったり、興味本位に訪れるのではなく、自分自身を高め、人生を切り開いていこうと決意したとき、心してお参りするようにしてください。

石上神宮・楼門

石上神宮へのアクセス
『古事記』『日本書紀』にすでに「石上神宮・石上振神宮」の記載があるほど、歴史の古い神社。古代の豪族、物部氏の氏神であり、大和朝廷の武器庫だったともいわれています。

●奈良県天理市布留町384 電話0743-62-0900

石上神宮の霊剣(神)とニギハヤヒノミコト

(http://www.isonokami.jpより)

布都御魂大神(フツノミタマノオオカミ)
神武天皇の国土平定に偉功をたてられた韴霊(ふつのみたま)の剣(平国之剣・くにむけのつるぎ)とその霊威

神武天皇を助けた霊剣
神武天皇は「東方に国の中心で、すばらしく美しい土地がある」と、九州の高千穂宮を出発し、船で海を渡り、大和に向いました。
途中幾多の困難に遭遇しながら進んでいきます。熊野では賊の毒気にあたって全軍が壊滅寸前の状態に陥ります。

その時に高天原から降ろされた一ふりの横刀(たち)またの名を布都御魂(ふつのみたま)を、高倉下(たかくらじ)が神武天皇に捧げます。するとこの横刀のもつ不思議な力、起死回生の力によって神武天皇の一行は蘇り、賊も退散。神武天皇は、無事に大和を平定することができました。

天津神が饒速日命に神宝を授ける
物部氏の遠祖・饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が、高天原より天降られる時、天津神から「天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)」を授けられました。
この時
「もし痛むところあれば、この十種瑞宝(とくさのみづのたから)を、一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたりや)と言って振りなさい。
ゆらゆらと振りなさい。そうすれば死(まか)りし人も生き反(かえ)らん」
とお教えになりました。

饒速日命、天磐船で降臨
饒速日命は天璽十種瑞宝を携えて、多くの供(とも)を従え、天磐船(あめのいわふね)に乗って豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)に降臨されます。最初に降臨されたところは「河内の国の河上の哮(いかるが)峯」と伝えられ、その後、饒速日命は大和国山辺郡布留の高庭(現・石上神宮の地)に遷し鎮められました。磐船に乗って上空から眺め、「虚空見(そらみ)つ日本(やまと)の国」と言われ、これが「日本」の名称の初めになったと、『日本書紀』に記されています。

※饒速日命は、天孫降臨のニニギノミコトより、早く天降っていたようです。

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