江原啓之 霊視ができれば霊能者なのですか?

江原啓之「霊視ができれば霊能者なのですか?」

霊視ができれば霊能者なのですか?

能がゼロの零能者の決めゼリフ「あなたはわかってない!」

実は、世の中で霊能力者と呼ばれる人々のほとんどは、現世の価値観でしかものを見ていません。えせスピリチュアリストは、
「短命は因縁である」だとか、
「不幸続きなのは家の徳がないから」など
と言って、人を振り回します。私から見れば、それはもう喜劇です。彼らの決めゼリフは「あなたはわかってない!」です。
脅迫めいたことを言って、人を怖がらせ、自分が何の霊能も持っていないことから逃れようとしているのです。

霊能力者ではなく、能がゼロの零能者。いわば妄想族が、この世で魂の成長を妨害する一番の罪人です。そういう能力のない人にすがろうとするような人々は、「私はかわいそう」と思いたがるヒロイン・シンドロームに陥っています。自分を憐れみたいのも、一種の依存心であることに気づいていません。つつがない人生こそ幸いで、難難辛苦な人生を災いとする見方は、まったくスピリチュアルなものの見方ではありません。

つまり、「霊感と霊能」はまったく別物

「霊感」を持っている人は星の数ほどいます。魂の存在である人間は、本当は誰もが霊感を持っています。一方、「霊能」とは、霊感から得たものを理解して整理し、その意味を見いだすことができるかどうかということですから、持っている人は限られています。

私も心霊研究を始める以前、子ども時代から、エクトプラズムで出てくる人の姿や、もっとディープな心霊現象を実際に見聞きしてきました。私は霊視もしますが、もし自分にしか視えないものだったら、きっと「私だけの妄想じゃないか」と思っていたでしょう。過去を言い当ててしまうこともむしろ、「自分は頭がおかしくなったのかもしれない」と不安になったはずです。

しかし、物理的心霊実験などでは、何人もの人間が一度に超常現象を目の当たりにします。客観的な心霊現象ですから、「ああ、視えるのは自分だけじゃない。あって当然の世界なんだな」と実感できたのです。

魂の視点、「心眼」ほうがずっと優れている

とはいえ、私は「視えればいい、視えればすべて解決する」などと思っていません。
本当の「霊的視点」や「魂の視点」で分析することができなければ無意味だからです。

でも、魂の視点、すなわち「心眼」で現世を俯瞰して見ることができるようになると、人事百般、見る視点がひっくり返ります。心の余裕がまるで違ってくるのです。霊視という、ただ視えるだけのことよりも「心眼」のほうがずっと優れている。私はそう思っています。

『江原啓之 スピリチュアリズムを語る』(2009.12)より

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