※本ページにはプロモーションが含まれています。

[第13講]「死」にまつわる6つの問題

死とは何か[第13講]
私たちが死ぬまでに考えておくべき、「死」にまつわる6つの問題

正直、私は[第12講]まで読んできて、この本『死とは何か』の広告コピーはコピータイターが考えたものだと思いはじまていました。

余命宣告をされた学生が“命をかけて”受けたいと願った イェール大学伝説の講義!

こんな学生はいなかったのだ、と思い始めていたのです。
しかし、[第13講]でその事実が出てきました。次の項目の中で。

4 人生の「形」が幸福度に与える影響
「あなたの余命はあと1年です」——そのとき、あなたは何をする?

なんとも考えさせられた事実です。今までの形而上学的な仮定の話とは違って事実は重いです。だから、その箇所を長いですが、引用しておきます。

 もし、あと1年か2年しか残っていなかったら、みなさんはその時間で何をするだろう? 学校に行くか? 旅行に出るか? 友人たちともっと時間を過ごすか?

この疑問に直面しなければならなかった人の、並外れて感動的な例が、私がイェール大学で教えている死についての講座で見られた。数年前、その講座には死を目前にした学生がいた。本人も自分が死ぬことを知っていた。一年生のときに癌という診断を受けていたのだ。医師は、回復の見込みがないに等しいことを告げ、しかも、あと2年しか生きられないと伝えた。そうと知った学生は、自問せざるをえなかった。

「さて、残された2年で何をするべきか?」

彼は、自分がしたいのはイェール大学の学位を取ることであると見極めた。そして、死ぬまでに卒業するという目標を立てた。その一環として四年生の後期に、死についての私の講座を受けたのだ(それを知って私は畏れ多い気がした。彼のような立場にある人が死についての講座を選び、毎週毎週、私が教壇に立って、魂は存在しない、死後の生は存在しない、私たち全員がいずれ死ぬのは良いことだ……と語るのを聴くことにしたのだから)。

というわけで、彼は私の講座に出席していた——春休みまでは。春休みを迎えたころには具合がかなり悪くなり、医師に学業の継続は無理だと言われていた。彼は自宅に帰らなければならなかった。医師は事実上、家に帰って死ぬ時が来たと告げたわけだ。彼は自宅に戻り、その後、病状は急速に悪化した。

その学期に彼が取っていたさまざまな講座の教員は全員、管理部門からの問い合わせに直面した。学期のその時点までの実績に基づいて、学期全体としてどのような成績を彼に与えるつもりがあるか? もちろん、どの講座の単位が取れて、どの単位が取れないか次第で、彼が卒業できるかどうかが決まるからだ。けっきょく、彼は十分な成績を収めていたことがわかった。そこでイェール大学は、見上げたものだが、管理部門の職員を一人、死の床に派遣し、彼が死ぬ前に学位を授与した。

この学生が講義に出ていた時のシェリー・ケーガン先生の気持ち、その気持ちが次の文章によく出ています。

それを知って私は畏れ多い気がした。彼のような立場にある人が死についての講座を選び、毎週毎週、私が教壇に立って、魂は存在しない、死後の生は存在しない、私たち全員がいずれ死ぬのは良いことだ……と語るのを聴くことにしたのだから

[第13講]の内容は、次の目次を見ていただくと、だいたい想像できると思います。想像するというより、このような問題は人から教わったりすることはできません。自分で考えることだからです。

  1. 死の不可避性。死は避けられない、だから生きる?
  2. 長命の人、短命の人、不公平だと言っても何の解決にもなりません。
  3. 「いつ死ぬか」がわかりない。では、死が訪れる日時をはっきり知りたいですか? 否!
  4. 人生の「形(浮き沈み)」の総量を考える。その差で、幸福かどうかわかる?
  5. 3と近い問題、いつ死ぬかわからない。自分は交通事故では死なないと思っていても、交通事故で死ぬかもしれません。死はいたるところにある、「死の偏在性」と著者は言っています。
  6. 足し引きだけで人生は評価し切れない、そんな判断はできません。「自殺」ついての詳細は[第15講]で講義されます。

[第13講]私たちが死ぬまでに考えておくべき、
「死」にまつわる6つの問題 目次

1「死は絶対に避けられない」という事実を巡る考察
死の不可避性——だから良い? それとも悪い?
2 なぜ「寿命」は、平等に与えられないのか
寿命のばりつきがもたらすのは幸せか、不幸か
3「自分に残された時間」を誰も知りえない問題
「いつ死ぬか」がわかりないかり悪い? わからないから良い?
4 人生の「形」が幸福度に与える影響
「良いこと」と「悪いこと」ー総量が同じでも、幸不幸に分かれる理由/人生の頂点を極めるべきタイミング/「あなたの余命はあと1年です」——そのとき、あなたは何をする?
5 突発的に起こりうる死との向き合い方
「これで死ぬなら本望だ!」と言えることは何か/死ぬ可能性こそが、快さの根源⁉︎
6 生と死の組み合わせによる相互作用
足し引きだけで人生は評価し切れない/プラスの相互作用 有限だから生をより大事にできる/マイナスの相互作用①味見は味見にすぎない/マイナスの相互作用②高貴な身分からの没落/「生まれてこなかったほうがまし」と「自殺」はまったく交わりない

終わりに

今まで、仮定の話、SFの話のような考えてもしょうがない話が多く哲学の論拠としてあげられてきました。正直、あまり意味はないと思ってきました。しかし、

余命宣告をされた学生が“命をかけて”受けたいと願った イェール大学伝説の講義!

この学生が生きていた事実には、考えさせられました。事実は重い!のですね。
でも、このような人は大勢います。普通なら、驚くことではないのかもしれません。
しかし、ず〜っと仮定の話、SFの話が多かったので、きっと新鮮に感じたのだと思います。

ともかく、自分で考え、生きるしかない、ことは確か。人に任せることはできないのですから。