諏訪大社・下社秋宮(拝殿)
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諏訪大社には4社あるって知っていましたか?
私は、諏訪大社が4社あるなんて、夢にも思っていませんでした。
諏訪湖の北にあるのが下社(春宮・秋宮)
諏訪湖の南にあるのが上社(本宮・前宮)
ご祭神はタケミナカタノカミとその妃神のヤサカトメノカミ。一般的に上社が男神、下社が女神とも言われています。
諏訪大社の分社は、全国に10,000社以上。「お諏訪さま」「諏訪大明神」と親しまれ、敬まわれています。
また、水の信仰が海の守り神となり、古くからある港の近くには必ずと言っても良いほど「お諏訪さま」が祀られています。海の守り神は、龍神として軍神、武家の守護神とも尊ばれてきました。
江原啓之 スピリチュアル「諏訪大社」を語る。
諏訪大社を訪れたとき、霊的な直感として、龍神系のエネルギーを強く感じ取りました。ぽくの場合、ササノオノミコトが守護神ですので、龍神系の神社には深い縁があります。諏訪大社は、まさに龍神のいらっしゃる場所ですので、まるで呼び寄せられたのではないかと思うほどの吸引力を感じながら、参拝させていただいたのです。
ぽくの実体験では、龍神系のサンクチュアリを訪れるとき、よく雨に遭遇します。それも一日中降り続くような雨ではなく、晴れているのに雨が降ったり、短時間のうちに一気に雨模様になったりすることがほとんどです。龍神が参拝をお喜びくださって、あたりの大気を浄化する、恵みの雨を降らせてくださっているのでしょう。
快晴の空から雨が降ってきたら、龍神からの歓迎メッセージと受け止めて、参拝させていただいたことに対して、心からお礼を申し上げましょう。
諏訪大社・下社秋宮のご神木「根入りの杉」
ぽくが、秋宮の境内で見た光景は、本当に美しいものでした。穏やかで優しい空気のなか、木々の精霊であるフェアリーが、やわらかな光を放ちながら、ふわふわと飛び回っているのです。秋宮を訪れた人は、きっと「何となく気持ちがいい、心が癒される」と感じるはず。実際に目で見ることは叶わなくても、そうした感覚こそ、フェアリーの存在を体感している証拠だといっていいでしょう。
また、秋宮のご社殿を参拝したときには、多くの守護霊の姿も視えました。諏訪大社を崇敬してきた人々や、諏訪の御柱祭に血を沸き立たせた人々が、霊魂となって諏訪の地を守護しているのです。さすがに一万余の神社の総本宮である、諏訪大社の名にふさわしい信仰の在り方だと思います。
秋宮から西へ1キロメートルほど行くと、春宮に行き当たります。秋宮と春宮は、社殿の構造や拝殿の配置などが同じで、いわばついの宮として作られています。
諏訪大社の御柱祭は、12トンもの重さのある巨大な縦の大木を、奥山から諏訪大社のお社まで曳いていき、社殿の四隅に建てるというお祭りです。荒々しいほどに勇壮な光景から、全国でも屈指の大祭として注目されていますが、もともと御柱は、神様の光臨される「ひもろぎ」だったものです。神様と人問とをつなげてくれる、いわばアンテナの役割を果たす存在なのです。社殿にお参りするだけで満足するのではなく、ご神木である御柱に参拝し、御柱を通して伝わってくるご神気を感知することこそ、諏訪大社を詣でる醍醐味ではないでしょうか。
岡本太郎絶賛!「万治の石仏」春宮から5分
下社から上社へ移動。
本宮も山そのものがご神体であり、清々しいご神気によって守られていました。
諏訪大社・上社本宮
前宮こそ、日本でも屈指のスピリチュアル・サンクチュアリだったのです。
前宮では、ほど近くに霊山を臨み、清らかな名水が流れ、木々が豊かに生い茂っています。そこにあるのは、日本という国に備わっている自然そのままの、理想的な聖地でした。
諏訪大社・上社前宮(背景は守屋山or宮山?)
※両端に御柱(裏にも2本御柱)が見えます。
スピリチュアル・サンクチュアリの旅を通して、ぼくは「土地のパワーを感じること」の大切さを、繰り返しお話しています。土地の食べ物を口にしたり、温泉に入ったりするようにお勧めするのも、その土地に宿る力を吸収してほしいからです。前宮の在り方は、多くの聖地が失ってしまった、本来の姿を守っているのではないでしょうか。
諏訪大社に2018年1月5日参拝
私はバスツアーで、2018年1月5日に諏訪大社4社を参拝しました。年初にあたって、今年はどこの神社から参拝しようかと考えたら、諏訪神社の名前がすぐ浮かんできました。いつか行きたい神社と、ずっと思っていたからです。
天候には恵まれて良かったですが、最後に参拝した上社・本宮に着いたのが4時頃となり、かなり冷え込んできました。境内では、焚き火が焚かれていました。
ちなみに、バスツアーでは、秋宮→春宮→前宮→本宮の順に参拝しました。
お正月になって一週間も経っていませんでしたので、初詣の人々で賑わってもいました。
個人的には、下社・秋宮が素晴らしかったです、上社・前宮は神社の起源がわかるような素朴な境内でした。
そして、TVでしか見たことがなかった御柱。これがそうなんだと感慨深かったです。
諏訪大社の御朱印
諏訪大社下社(秋宮・春宮)の御朱印
諏訪大社上社(本宮・前宮)の御朱印
諏訪大社(秋宮・春宮・本宮・前宮)のすべての御朱印で、特製きんちゃくゲット
諏訪大社の御柱5つの起源。
あなたも、一度は【御柱祭】をテレビで見たことがあると思います。
「なんで木にまたがって、命をかけてまで斜面を滑り下りるか?」
【御柱祭】で毎回人が死んでいると、信濃の友人から聞いたことがあります。
「あの御柱って、一体なんなのでしょうか」
諏訪大社4社の御柱は、それぞれ各4本を毎回代えます。
【御柱】について調べてみました。5つの起源
『諏訪大明神絵詞』によると、御柱祭は桓武天皇(784〜805)の時代からあったと記述されているそうです。が、御柱祭の起源は書かれていません。
【御柱祭】正式名称は諏訪大社式年造営御柱祭。寅年と申年に行われます。
- 結界を作る独鈷(どっこ:両端がとがっている杵形の仏具)と同じ役割
- 神殿の建て替えを簡略化(神社すべてを建て替えると大変な費用と時間がかかるから、四隅の柱だけを建て替えるようになった)
- トーテムポールで同じで、霊が木に宿る
- ご祭神タケミナカタノカミを封じる
- 世界は4本の柱によって支えられているという古代の神話が多くある
私見ですが、3の考え方が、山からモミの木を切って、下ろしてくる御柱祭のイメージに近いかと思えます。
「御小屋(おこや)の山のモミの木は、里に下りて神となる」
という木遣り唄があります。歌われている神は山などの土着の神。諏訪湖の神はミシャグジ神といいます。
【木遣り唄】掛け声が歌へ変化したもの