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政治のせいで高級になった魚!? 「ふぐ」が未来の人類を救うかもしれない
ふぐが高級なのは、政治と大きく関係している?
株式会社河久(かわく)・代表取締役の望月俊孝(もちづき・としたか)さんが語られたのは、豊臣秀吉や伊藤博文などの歴史上の偉人たちのエピソードから、高度経済成長期に端を発する「ふぐ」と「下関」の栄華。
そして、2000年代以降の天然資源の枯渇による「ふぐの街・下関」の衰退。はたまた、ふぐの資源管理が未来の人類を救うかもしれないという話まで。知りませんです。
美しいふぐ刺し(記事より)
Contents
①ふぐは精のつく食べ物
中国や韓国からふぐ食のルーツをたどっていくと、ふぐのスープとして食べられていたのがはじめだそうです。精のつく食べ物として重宝され、特に白子は希少価値から、西施乳(せいしにゅう)と呼ばれ高級食材になっていました。
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②日本では、300年間ふぐを食べるのを禁止
ふぐにはテトロドトキシンという猛毒があります。致死量は2、3mgほどで青酸カリの500~1000倍以上。だから、「なぜ日本人はあんな『キラーフィッシュ(Killer Fish)』を食べるんだ?」と外国人に言われるほどです。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、ふぐを食べた兵士たちに大量の死者が出ました。そのため、1592年秀吉は「河豚食禁止令」を出しました。それから300年近く、公的にふぐ食は禁止されていました。
しかし、人間は毒性の高い禁止された食べ物を、ぜか食べてしまう傾向があります。小林一茶もふぐを好んで食べていたと言われています。
③ふぐが解禁となったのは明治時代
下関を訪れた当時の首相・長州藩出身の伊藤博文が、ふぐのあまりの美味しさに禁止令を解除しました。
また、食通として名高い北大路魯山人が、エッセイに書いたことがきっかけで、ふぐは食文化として伝わります。そのほかにも文化人たちがふぐが美味しいということを広めました。
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④下関は「加工地」で、「生産地」ではない?
冷凍技術がまだ悪かったため、朝に下関で採れたふぐをその日に東京に送らなければいけないことから、価格も高くならざる得なかったそうです。
赤坂の料亭で、政治家の人が接待などに利用。結果として、下関はふぐの生産地として、その特需で大きく成長してきました。
1974年にはふぐだけを扱う市場として、南風泊市場(はえどまりしじょう)が開場。2000年代以降に入ると、それまでの乱獲や、温暖化による天然のふぐの北上によって、下関の港ではあまりふぐが取れなくなります。
1990年代に養殖技術が確立して以降は、長崎県や熊本県などがとらふぐ養殖を盛んにしています。天然のとらふぐはどんどん枯渇していますから、このままでは「ふぐといえば九州」となってしまう?
株式会社河久・代表取締役の望月俊孝さんたちは下関でふぐの養殖を普及させようとしています。下関という街はふぐのブランドイメージが確立されている上に、加工技術、流通など全てが整っているから。ここの問題が解決できれば、ふぐ産業が復活できるのではないかと。
最も重要となるのが、養殖用漁業用水の確保です。
ちなみに養殖のふぐって、天然のふぐと比べても美味しいそうです。
⑤ノーベル賞学者も認めた「ふぐ」が将来の人類を救う?
ふぐは養殖をすると、互いに噛み合ってしまいます。それを防ぐためにふぐの歯を切る技術などを進めていきます。
養殖システムが確立できれば、もし未来に食糧難に陥った際も、タンパク質に関しては養殖のふぐの生産供給だけでも問題ない状況になるそうです。
ふぐはかなり生存能力が高いので養殖に向いている。とにかく個体として強い。病気にもなりにくい。冷凍技術や輸送も発達してきたので、今はかなり安価で食べることができます。(と言っても?)