※本ページにはプロモーションが含まれています。

お鷹の道

「なんて素晴らしい世界なんだ!」

と、言い続け周りのみんなをほっこりさせてきた山田涼介・セミオトコ。
木南晴夏演じる大川由香に恋心を抱き、

「あと、5日間一緒にいられる」
・・・
「あと、3日間しか一緒にいられない」
・・・
「あと、1日間しか一緒にいられない」

と、切ない状況になってきてしまった8月最後。9月に入り、いよいよ最終回で2人の運命は?

この舞台になっている撮影場所が「お鷹の道」です。

公式サイト「セミオトコ」

山田涼介&木南晴夏『セミオトコ』の場所、お鷹の道とは?

お鷹の道・真姿の池湧水群【環境省選定名水百選・都名湧水 】よりhttp://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/kouen/1005195/1004229.html

お鷹の道
江戸時代に市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていました。それにちなんで、崖線下の湧水が集まり野川にそそぐ清流沿いの小径を“お鷹の道”と名づけ、現在約350メ-トルを遊歩道として整備 されています。
四季折々の散策路として人気がありますが、春から初夏にかけて沿道に見られる「カラー」の花も人気の一つです。沿道沿いの街並みとともに、国分寺を代表する名所として親しまれてい ます。

真姿の池湧水群
真姿の池をはじめとする崖線下の湧水群は、 上記の“お鷹の道”と合わせた環境の良さを評価され、環境省選定名水百選のひとつとしてに選ばれました。また、東京都 の名湧水57選にも入っています。
嘉祥元年(848)、絶世の美女といわれた玉造小町が病気に苦しみ、病の平癒を願い全国行脚をした際に、武蔵国分寺で願をかけたところ、「池で身を清めよ」との霊示を受けて快癒したとの言い伝えがあります。現在は弁財天が祀られています。

国分寺・お鷹の道は、史跡カフェ「おたカフェ」から回るとと良いです。

史跡カフェ「おたカフェ」
国分寺・お鷹の道

「おたカフェ」すぐ横の立て札にはこう書いてあります。

〜目と耳でお楽しみください〜
かつて、国分寺の台地では多くの用水が流れ、その水流では12台もの水車が稼働していたと言います。
今回ミズモリ団は、今までは幻となってしまったそんな水車をコンパクトにデザインアレンジし、ここ元町用水に再現してみました。

お鷹の道湧水

用水に沿って歩き左に曲がると『セミオトコ』でよく出てくるお鷹の道湧水になります。

お鷹の道湧水
お鷹の道湧水
お鷹の道湧水路

真姿の池と真姿弁財天

絶世の美女といわれた玉造小町が病気に苦しみ、病の平癒を願い全国行脚をした際に、武蔵国分寺で願をかけたところ、「池で身を清めよ」との霊示を受けて快癒したとの言い伝えがあります。(上記)

真姿の池
真姿弁財天
真姿の池

先に左の曲がらないで、少し先を右に曲がるとお食事処「Light House」があります。

お鷹の道・お食事処「Light House」

国分寺・万葉植物園と国分寺楼門

「おたカフェ」の近くにある武蔵國国分寺楼門です。万葉植物園は武蔵国分寺の境内にあります。

武蔵國国分寺

国分寺 万葉植物園

万葉集に詠まれた約160種の植物を収集した市天然記念物指定の植物園
「国分寺 万葉植物園」は、昭和25年(1950)から38年(1963)にかけて、当時の国分寺住職だった星野亮勝氏が、日本に現存する最古の和歌集である「万葉集」に詠まれている植物を収集。
すべての万葉植物を独力で採集し、植物ごとに例歌、詠み人が記された札が建てられています。

国分寺楼門

国分寺楼門

昭和51年(1976)10月7日指定。
建物は間ロ三間(約6.2メートル)奥行二間(約3.7メートル)の楼門造り。板金葺で、江戸時代の建築様式をよ<とどめています。
この門は、米津出羽守田盛(通称内蔵助)の元菩提寺として建立された米津寺(東久留米市)の楼門を明治28年(1895)に移築したものです。
国分寺境内の諸建築物とともに、国分寺の変遷を知るうえで重要な建物です。

米津出羽守
出身地は、三河国碧海郡米津村で出羽守田盛の時に久留米村前沢を知行地とする。石高は、一万五千石 大阪定番を勤める。

終わりに

「セミオトコ」毎週見ていますが、知っている国分寺の場所が出てくると、なぜか和みます。
ただ、アパートと酒屋が国分寺でないのが、少し残念な気持ち。

また、山田涼介・セミオトコ、1週間の寿命をなんとか伸ばしてあげたい。木南晴夏演じる大川由香、どうやらセミオトコが死んだら自分も死ぬ覚悟のようですが、なんとか二人の恋が大団円になってほしいと思います。

ところで、セミの寿命は1週間ではなく、1か月ほどあるそうです。