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死とは何か イェール大学[第3講]魂は存在するか?

「魂」の存在は、どうしたら信じられるのか?

【考察】魂の存在を信じるべき正当な理由があるか?

この[第3講]「魂」は存在するか?を読んでいると、同じような考察が何回も出てきます。正直、この[第3講]は読まなくても、[第2講]で十分だったかもしれません。読んでいる時は、なんとなく分った気になりますが、読んでしまうと、1つの考察しか印象に残りません。それは、目次にもある次のことです。

私たちの身体は、いったい「何」がコントロールしているか?
——魂の存在証明への挑戦——

SFドラマ「ウエストワールド」とSF映画「ブレードランナー」

SFドラマ「ウエストワールド」

そして、この[第3講]を読んでいると、SFドラマ「ウエストワールド」とSF映画「ブレードランナー」を想起してしまいます。特に、「ウエストワールド」に登場するゲスト(人間のお客)とホスト(アンドロイド)の関係を思い出させます。

「ウエストワールド」とは、は西部劇のアトラクションワールド。保安官、ならず者、酒場の娼婦、娼婦のマダム、牧場主、騎兵隊、インディアンなど多くのホストが出てきます。人間であるゲストは高いお金を払って入場します。

そして、自分の好き勝手ができるのです。ホストを殺すことも、強姦することもできます。殺されたホストは、人間と同じように血を流し、死にます。しかし、回収されて、一切記憶を消され、また「ウエストワールド」の中に戻り、同じ役(設定)を演じます。

このホストとは、人間と全く同じようなアンドロイドで、感情や意思を持っているように見えますが、すべて研究室によって創られているのです。

ところが、殺されたあるホストの中に、記憶が消されても覚えているものも出てきます。彼らは、意思を持ち始めたり、それとも誰からそう設定されているのか?

ようは、私たちが魂を持っていて、自分の自由意志で生きていると思っていても、実はそれは身体機能の現れであり、魂を考えなくても問題ないとシェリー先生は[第2講]と同じ考察をしています。

創られた者は「魂」を持ちうるのか? 錯覚か?

SF映画「ブレードランナー」は「ウエストワールド」よりもさらに先の未来ですから、レプリカントはまったく人間と同じと言ってもいいくらいです。でも、レプリカントは、創られた者です。

「ウエストワールド」の中で自由意思を持ったように見える娼館のマダムに、ある研究員はゲストとホストの違いをこう告げます。

私は生まれた。が、あなたは創られた。

しかし、ホストの設定を理解した娼館のマダム、メイヴは、20の能力の1つ「統覚」の数値を最大の20(神か?)にするように、研究員を誘惑します。目的は、この世界の外へ逃亡することです。
「私を抱いてもいいのよ」

このメイヴの行動を、彼女自身は(神である)人間を越えるべく自らの自由意志から行動していると認識しています。
しかし、シーズン1の最後の方で、この行動すらプログラム「逃亡」されていたことが発覚します。だからと言って、彼女がそれを認めることはありません。

これと同じように、二元論者は自由意志を魂であると唱えます。物理主義者は、それは身体のP機能であると捉えます。(動物が持っていない、いわゆる人間らしさのこと)

[第3講]魂は存在するか? 目次

最初に書いたように、同じような考察が何回も出てきます。その違いを1つ1つ書いても、その違いを簡単に書くことはできません。だから、[第3講]の目次を、すべてあげておきます。補足的に、一部引用します。

考察は、「魂」の存在は、どうしたら信じられるのか?

「最善の説明を導く推論」目に見えないものの存在を証明するには?

「目に見えないもの」を信じる条件
「魂がないとうまくいかない」ものは存在するか?
「魂」についてのシェリー先生の考えと本講の目的
魂の存在を証明するための「特徴F」の二分類

思考、感情、創造性……日常的な現象から「魂」を考える

「命を帯びている身体と帯びていない身体」——魂の存在証明への挑戦①
「目的意識が、魂の存在の裏づけである」——魂の存在証明への挑戦②
私たちの身体は、いったい「何」がコントロールしているか?
「自由意志こそ、魂の存在の証」——魂の存在証明への挑戦③
「思考・信念・欲望こそが、魂の存在の証」————魂の存在証明への挑戦④

二元論者、つまり魂を信じたい人(魂があって欲しい人)の意見は、おおむね次の論点が基本です。

 「いいですか、身体がランダムでない形で動き回る理由を説明するためには魂を持ち出す必要がないというのは本当です。けれど、人間には、ただの身体には持ちえないとても特別な能力があり、それは物理主義者にも説明できません。それは考える能カです。合理的に思考する能力です。
人間には信念や欲望があります。そして、どっやって欲望を満たすかについての信念に基づいて、人間は計画を立てます。人間は戦略を持っています。何をするべきかについて、合理的に結論を導き出します。
そして、私たちにまつわる、この緊密につながった一連の事実、すなわち、私たちは信念や欲望を持っており、合理的に思考したり、戦略を練ったり、計画を立てたりするという事実をすべて説明するためには、やはり、魂を持ち出す必要があるのです。
ただの機械には信じることはできません。ただの機械は欲望を抱けません。ただの機械には合理的な思考はできません」

人工知能時代における、思考・信念・欲望
「感じる力や感情こそが、機械と人間(魂)の差」——魂の存在証明への挑戦⑤
「物」は、何かを「感じる」ようになれるのか?
SFの世界で描かれるロボットと感情→SFドラマ「ウエストワールド」参照
物と感情に関する、暗黙の共通見解
「感じ」や「感性」に限定すれば、話は変わる?
感性の特殊性——だから、二元論は否定できない
否定できないものは、すべて正しいと言えるのか?
「できない」という言葉が持つ、2つのニュアンス
二元論者の盲点と、シェリー先生の立場

 物理主義者は、意識をうまく説明できない。だが、それは二元論者にしても同じだ。私の見る限り、意識の仕組みは誰にもうまく説明できない。それは、どちらの側にとっても謎なのだ。
 「両者引き分け」が示すこと
だが、もし引き分けなら、私たちが求めていたものが得られないことに注意してほしい。なにしろ私たちは、魂の存在を信じる理由を探していたのだ。そして、二元論者には、「私には意識は説明できませんし、あなたにも説明できません」というのがせいぜいなら、それは魂の存在を信じる理由にはならない。

「物は創造性を持ちうるか?」——魂の存在証明への挑戦⑥
プログラムされた創造性と自由意思——魂の存在証明への挑戦③への回帰
自由意志が魂の存在を裏づけない理由
自由と選択、そして決定論
シェリー先生による、自由意志についての議論の整理
前提(1)「人間には自由意志がある」についての異論
前提(3)「物理的なシステムは決定論に支配されている」についての異論
物理の基本法則は、決定論に基づかない
前提(2)「決定論と自由意志は同居しない(非両立主義)」についての異論

臨死体験、ESP……超自然的な現象から「魂」を考える

「臨死体験は魂の存在を証明できるか?」——魂の存在証明への挑戦⑦
臨死体験に対する異論とシェリー先生の反論
「臨死体験」では、いったい何が起こっているのか?
臨死体験以外の超常現象から「魂」の存在を探れるか?——魂の存在証明への挑戦⑧

 身体にストレスが加わっているとき(生命という生物学的ブロセスの終わりにかけては、そのような状況が起こる可能性が高いと思われる〕には、特定のエンドルフィンが分泌される。幸福感はそれで説明できるかもしれない。
同様に、身体がストレスにさらされると、視覚を司る脳の部位が普通とは違う形で刺激されるので、白い光や、狭いトンネルの中にいる感じは、それで説明がつくかもしれない。

臨死体験は、人が死に近づいたときにその身体と脳が受ける心的外傷性ストレスの観点から説明できると言うほうがより妥当に思えるだろうか?
それとも、ここで起こっているのは、魂が身体との通常のつながりから部分的に解き放たれる現象だと主張するほうが、より妥当なのか?

私としては、初期段階にある科学的な説明はかなり有力で、納得できると思う。だから、臨死体験を説明するためには魂の存在を前提とする必要があるという主張には、格別説得カはない気がする。

「二元論vs物理主義」の一応の着地点

 したがって私は、二元論のためにこれまで考察してきたさまざまな主張は、少なくとも現状ではうまくいかないと結論する。
いつの日か、その結論が変わるかもしれないことは言うまでもない。将来私たちは、何か説明する必要がある事柄を説明するとしたら(あるいは、最善の説明を提示するとしたら)、魂を持ち出す必要が本当にあると判断するかもしれない。
だがいずれにしても今の時点では、私の見る限り、最善の説明を導く推論を持ち出す主張はどれーつとして、魂の存在を前提とする説得力ある理由を提供してはくれない。