「アガスティアの葉」はありえない
私たちは「運命」を築くという自由を与えられてこの世に生きている以上、葉っぱに私たちの運命が書かれていることはありえない、と江原啓之さんは語ります。
アガスティアの葉とは?
紀元前3000年頃に実在したとされるインドの聖者アガスティアが太古に残した個人の運命に対する予言が書かれているとされる葉。
深野一幸著 『アガスティアの葉とサイババの奇跡』によると、「アガスティアの葉」は保存のためにオリジナルのものから書き写され、現在、13ヶ所の館と呼ばれる場所で保存されているという。
また、自分の葉を探すには、その他の個人情報を伝えずに、男性は右手の親指の指紋を提出し、女性は左手の親指の指紋を提出して、自分の葉を探す。人類の指紋が108種類に分類され、それがさらに4つの分類に区別されていることで、各個人の葉を探すことができるのだという。(ウィキぺディアより)
宿命とは?
もともと決められているものがあるとすると、生まれてくる場所や時代、性別などの「宿命」です。そして、「宿命」とはこの世に生まれる前に「自分自身で決めてきたカリキュラム」のことを言います。
だから、難しそうに思えても、自分自身で越えられない課題は選んでいません。この宿命という土台の上に、「運命」を自由に築き上げていくのです。
運命は決められているのか?
決められていません。運命が決められていると思いたいのは、責任ある自由から逃げているのです。あるいは、自由を放棄しているのです。
「どうせ運命の通りになるんだから」
「人生がどうなるか知りたい」
「当たった!」
とか言うのは、努力しない情けない人です。
自らを向上させていくためにも、苦難や試練が必要なのです。人生を生きる意義は、様々な体験をして霊性を高め、魂を磨くためです。自分自身で用意したカリキュラム(宿命)、自分に降りかかってくる出来事は、未熟さを克服していくための教材なのです。
お祓いグッズ、占いなどに頼って簡単にクリアーできると思ったら大間違い、全く意味がありません。
『江原啓之 スピリチュアリズムを語る』(2009.12)より
終わりに
「自分自身で決めてきたカリキュラム」は、キリスト教の教え「神は背負いきれない荷物を背負わせない」と同じです。ただし、スピリチュアリズムでは、カリキュラム(荷物)は自分で決めることで、神が決めることではありません。
そうだとしても、自殺する人がいるのはなぜでしょうか?
自分の能力を過信して、「背負いきれないカリキュラム」を作ってしまったということでしょうか?
ただ、江原啓之さんのこの言葉『苦難や試練が必要なのです。人生を生きる意義は、様々な体験をして霊性を高め、魂を磨くためです』を思い、生きていくしかありません。