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羽黒山・修験道(参道)の終わりの鳥居ホッとした!羽黒山・修験道(参道)2,446段の最後の鳥居

出羽三山「生まれ変わりの旅」とは?

羽黒山は現世での願いをかなえる山(現在)、月山はご先祖様の霊がいるため死後の安楽と往生を祈る山(過去)、湯殿山は生まれ変わりを祈る山(未来)と考えられています。
出羽三山をめぐると新たな魂として生まれ変わることができると言われ「生まれ変わりの旅」として人気があります。江戸時代には「西の伊勢参り、東の奥参り」とうたわれていたほどです。

羽黒山のご由緒、蜂子皇子

593年(推古天皇元年)、奈良の都から日本海の荒波を乗り越えて一人の皇子がやってきました。第32代崇峻天皇の蜂子皇子です。崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺されたからです。

蜂子皇子はイツハの里・由良(ゆら)の八乙女浦(やおとめうら)に迎えられ、三本足の霊烏に導かれて、たどりついたのが羽黒山の阿古谷(あこや)という、昼なお暗い秘所。
蜂子皇子はそこで難行苦行の修行を積み、ついに羽黒の大神・イツハの里の国魂「伊氏波神(いではのかみ)」の御出現を拝し、羽黒山頂に「出羽(いでは)神社」を、次いで月山、湯殿山を次々と開かれました。

出羽三山神社では、この時を以て「御開山の年」とし、蜂子皇子を「御開祖」と定め、篤く敬仰しています。やがて、御開祖・蜂子皇子の修行の道は「羽黒派古修験道」として結実し、1400年後の今日まで〈羽黒山伏〉の形をとって、厳しい修行道が連綿と続いています。

江原啓之 スピリチュアル「出羽三山①羽黒山」を語る。

これこそが聖地なのだと深い感銘を与えてくれる
古修験道の発祥の地を訪ねて。

羽黒山は、日本の誇る霊山のひとつであり、月山・湯殿山と合わせ、「出羽三山」として広く信仰を集めてきました。東北の聖地について語るとき、羽黒山を抜きにするわけにはいかないでしょう。

そもそも、出羽三山をいただく山形県は、日本でも有数の「不思議王国」です。UFOの目撃談が圧倒的に多いのも山形ですし、伝説的な超能力者(長南年恵)を生んだことでも知られています。
さらに、いわゆる「即身仏」でも有名で、数多くの修行者たちが、厳しい修行の末に即身仏となっています。あらゆる面で、山形県にはスピリチュアルな価値観を受け人れるだけの土壌があるのでしょう。

実際、山形を訪れてみると、想像以上に霊的な空気を感じました。羽黒山に向かう途中の山道でさえ、すでに神秘的なほどの絶景です。車を進め、羽黒山の山門近くまで行ってみると、そこにはまるでタイムスリップしたような空間が広がっていました。ほくが数限りなく訪れた聖地のなかでも指折りの空間で、生々しいほどのご神気は、久しぶりに「サンクチュアリらしいサンクチュアリ」だと実感できるほどの素晴らしさだったと思います。

蜂子皇子

蜂子皇子の肖像画を見ると、強い驚きに打たれます。高貴な生まれの皇子とも、修験道の尊い開祖とも、人間とさえも思えない、まるで妖怪のように怪異な顔に描かれているからです。

伝説によると、霊力に目覚めて羽黒山を開いた後、皇子は土地の人々を慰撫することに一生を捧げたといいます。そして、人々の悩みや苫しみに耳を傾け、その苦しみを我がこととして一身に背負っているうちに、この世のものではないほど醜い顔になってしまったとか。そうとわかると、恐ろしくて醜いはずの肖像画が、とても優しく美しいもののように見えてくるのではないでしょうか。

いずれにしろ、見た目の美醜など超越した次元で、蜂子皇子が尊い業績を残されたことにちがいはありません。そう考えれば、羽黒山の開山にまつわる物語には、たましいの美とは何であるのかを現代に伝える、普遍的な知恵がこめられているような気がします。

羽黒山・随神門

羽黒山への参拝は、神域の表玄関ともいうべき随神門からはじまるのが、一般的なコースでしょうか。これは羽黒山の中腹にある山門で、一見すると古い烏居にしか見えないかもしれません。ところが、実際に随神門の前に立ってみると、巨大なパワーがひしひしと押し寄せてくるのです。鋭敏な感覚を持っている人なら、それだけでもう、羽黒山の価値の一端を理解できるかもしれません。

羽黒山の杉並木

さらに、随神門から羽黒山の山頂まで続いていく約2キロメートルの参道は、樹齢300年を超えた杉の巨木で囲まれています。天然記念物に指定されている杉並木であり、本当に素晴らしいご神木でした。現世のしがらみを忘れ、生きていることの尊さを再確認する……。随神門を通った人は、そんな「たましいの再生」を促されるほどの、強いパワーを感じることができるのではないでしょうか。

参道を上り、一の坂、二の坂、三の坂と進んでいくと、ようやく羽黒山の山頂に到着します。山頂には、出羽三山の神々を合わせてお祀りした三神合祭殿があり、出羽三山を統合するお宮になっています。月山と湯殿山は、人里を遠く離れた難所にあり、冬季は人が立ち人ることができなくなるため、羽黒山に合同の参拝殿を建立しているのです。三山を踏破することができない場合は、この合祭殿を参拝することで、東北のサンクチュアリの素晴らしさを、少しでも感じ取ってほしいと思います。

出羽三山神社・三神合祭殿三神合祭殿と鏡池

ちなみに、合祭殿の本殿前には、鏡池と呼ばれる池があります。先にご紹介した蜂子皇子の伝説によると、皇k子が八人の乙女に導かれて上陸した八乙女浦と羽黒山は、鏡池によってつながっているとか。この池からは、何百という古鏡が引き上げられており、古来からスピリチュアル・サンクチュアリとして注目されていた場所であることがわかります。

崇高なエネルギーということでは、随神門から続くご神木が一番でしょうが、パワーの強さでいうなら、鏡池は羽黒山でも屈指のスボットでしょう。ぼくが鏡池に手をかざしていると、パワーを感じると同時に、様々なメッセージが聞こえてきました。羽黒山で修行を積んだ修験者や、はるばる登ってきた参拝名たちの祈りが、スピリチュアル・サンクチュアリである鏡池に投影され、現在に至るまで何かを伝えようとしているのでしょうか。羽黒山に参拝して、ぼくは「東北に来た甲斐があった」と思いました。スピリチュアル・サンクチュアリと呼ぶにふさわしい聖地に巡り会いたいと願うなら、一度は羽黒山にお参りしてほしいものです。

出羽三山に2018年7月14日に参拝

私はバスツアーで、2018年7月14日に出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)を参拝しました。
このツアーでは、月山までは行きませんが、月山の八合目の弥陀ヶ原湿原にある御田原神社を参拝しました。

羽黒山の修験道(2,446段の石段と杉並木)マジで私は死ぬかと思いました。

祓川にかかる神橋
羽黒山最古の建築物・五重塔

随神門から10分ほどは祓川にかかる神橋、羽黒山最古の建築物・五重塔とまさに聖域です。
しかし、五重塔を過ぎてからの羽黒山の修験道(参道)は……

羽黒山一の坂

羽黒山に登った日は、昨晩の雨から日光が差し始めたので、修験道は湿気が多く、私はものすごい汗をかき、他のツアーの人々から遅れてしまいました。
修験道には、厳しい勾配の一の坂(上の写真)、二の坂、三の坂があるのですが、誰もいないこの場で、呼吸困難に陥れば、救助は1時間以上もかかってしまいます。ここで心臓麻痺は絶対に起こしてはいけないと思い、何度も休み休み登らざるをえません。ツアープランの時間が十分取ってあったので、助かりました。

出羽三山の精進料理とは?

宮田坊の精進料理の朝食

羽黒山に登る前に、私は初めて宮田坊で精進料理の朝食をいただきました。

上:月山筍・しいたけ・油揚げ/蕗・さやえんどう・こんにゃく/ごま豆腐
中:ところてん/ブナのかのかわ/野菜の天ぷら/アオミズの和え物
下:お新香・ご飯・豆腐となめこの味噌汁

月山などの奥深い山で生活するために「生きるための食」として山伏が創作し継承されている。必要な食材を山の恵みとして採集し、食材の乏しい厳しい冬を乗り越えるために、あく抜きや塩蔵保存、水出しといった時間と手間のかかる保存技術や調理方法が編み出された。出羽三山に参拝する者は、精進料理をいただいて身を清め、山へ向かう準備を整える。
(道路わきの看板から)

出羽三山神社 三神合祭殿の御朱印

出羽三山神社 三神合祭殿

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