死とは何か イェール大学・完全版要約[第15講]自殺

死とは何か[第15講]自殺

[第1講]から[第15講]までアップしてきましたが、これは今の私の単なる覚書です。1年後、2年後に読み返したら、当然違った感想になるかもしれません。もう、読まないかもしれません。

だから、このブログを訪問してくださる方のために、「死」とは何か、各講の全目次をアップしておきました。この本を読んでみたい方は、目次を参考にすれば良いと思ったからです。

死とは何か[第15講]自殺

シェリー先生は、[第15講]自殺の冒頭で、こう考察すると書いています。

 人はいつか必ず死ぬという事実が、私たちの生き方にどのような影響を与えるべきかを問うた。考えられるさまざまな提案について考察したが、まだ姐上に載せていない選択肢がーつある。「自殺」だ。私たちはいずれ死ぬ運命にある以上、自らの人生を終わらせるという道も開かれているのだ。

だから、私が死について検討したい最後の疑問は次のようになる。
もし自殺をするのが理にかなっている状況があるとしたら、それはどんな状況だろうか?
もし自殺をするのが適切だという状況があるとしたら、それはどんな状況だろう?

このテーマについて考えると、どうしても感情論になりがちだ。それでも私は、この問題を体系的に吟味して、賛否両論の双方の立場を慎重に考察したい。

自殺というテーマについて考えるときに真っ先にするべきなのは、合理性についての問題道徳性についての問題を区別することだと思う。私はもっぱら合理性に焦点を当ててこの議論を始め、もし自殺が合理的な行為だという状況があるとしたら、それはどんな状況だろうかと問うつもりだ。

自殺を考えている人にとって、何が得になるのか損になるのか?
(大義、家族、愛する人、友を守る「自殺」は脇において)

その後で初めて道徳性についての問題に目を向け、仮に自殺が道徳的に正当なときや、道徳的に許されるときがあるとしたら、それはいつだろうかと問うことにする。

1人を殺せば5人が助かる、道徳的に正しいか?
自殺は自分の、自分による、自分のための死?

そして、下に掲載した〈目次〉を見れば、著者シェリー・ケーガンがどんなふうに緻密に思考をすすめているか、よくわかると思います。ところで、

[第15講]自殺 シェリー先生の結論 ですが、自ら考えることが大事!

自殺は常に正当であるわけではないが、正当な場合もある。

これが、78ページを費やしたシェリー先生の[第15講]自殺の結論です。

だからといって、「なるほど、そうか」と思う結論ではありません。なくてもいい結論です。ですが、この結論は、「自殺」の様々な想定から導き出されたものです。ここで簡単に説明できるような内容ではありません。

わかりやすく説明するために、「死」とは何か、にはSFのような話や極端な設定例の考察が多いです。「自殺」では、
「この地点より近未来が悲惨な人生であったら〜ここでの自殺は合理的か?」

少々頭だけの内容ですが、大事なのは目次のように、「自殺」の色々な場合を想定して、自ら考えることが大事なのです。

死期が迫っている人、悩んでいる人、死をもっと心で考えたい人(道徳的に、ではありません)にとっては(悪いと言っているのではなく)お門違いの本です。

本の帯に、

人は、必ず死ぬ。
だからこそ、どう生きるべきか

とありますが、「どう生きるべきか」のアドバイスではありません。「どう生きるべきか」の元になる土台、知っておくべき考え方といったら良いのではないかと考えます。

死とは何か[第15講]自殺 目次

理性的に自殺を語る/自殺にまつわる「合理性」と「道徳性」

自殺の合理性に対する第一の疑間
どんな状況ならば、自殺は合理的な決断になりうるか

「死んだほうがまし」なのはどんなとき?/なぜ哲学は、「死なないほうが良い」ことを論証できないのか/「生きてて良かった」がある以上、「死んだほうが良かった」は否定できない/「絶対的に悪い死」よりもさらに悪い生とは?/「生きている、ただそれだけで素晴らしい」となると、評価は変わる/人生の価値に対するシェリー先生の考え/「死んだほうがまし」になるのはいつのこと?/自殺が合理的になるタイミングを見極める——安楽死と自殺の問題/たった数パーセントだとしても「回復する可能性」にかけるべきか/ちょっと回復したけどまだ悪い——その人生の価値は?/自殺が合理的になる瞬間は、たしかにある! しかし……/こうして「間違った自殺」は起こりうる/未来の人生充実度は知りえない/決断を下すときの基本原則——自殺以外の事柄について/苦痛の長さが自殺を合理化する?/自殺の合理性に対する第一の回答——自殺の選択が合理的な場合もあるが、推奨はしない

自殺の合理性に対する第二の疑問
自殺の決断は明晰で冷静になされうるか

死にたいほどの痛みやストレスは、正常な判断力を奪う?/それでも合理的判断はできる——決めなければいけない手術の場合/自殺の合理性に対する第二の回答——瀬戸際でも理にかなった判断は下せる/自殺の合理性に関するシェリー先生の結論

自殺の道徳性に対する疑問

自殺に対する安直な道徳的主張①自殺は神の意思に背く/自殺すら、神の意思どおりという可能性/聖書の中に答えはない/自殺に対する安直な道徳的主張②素晴らしい命に感謝せよ/命は誰かからの贈り物? それとも押しつけられたゴミ?/神は「死んだほうがましな人生でもガマンして生きろ」と言うか/私たちの行動は、「結果」を通して道徳的か否かが判断されている/自殺からいちばん大きな影響を受けるのは自分自身/自殺の、自分以外の人への影響/周囲の人をほっとさせる自殺もある⁉︎

結果主義と自殺と道徳性

❶功利主義的立場/結果が最悪でも自殺しないほうが良い場合/❷義務論的立場/1人を殺せば5人が助かる——考えるほどに深みにはまる道徳的命題/自殺は、「私という罪のない人間」を殺す反道徳的行為である?/自分の扱いは「道徳の範囲」に含まれるのか/自殺は自分の、自分による、自分のための死?/「自分自身の賛同」という重み/同意さえ得られれば、何をしても許されるのか/彼は、英雄か悪魔か?——同意の効力/哲学はけっきょく、自殺に対して無力でしかない⁉︎/自殺の道徳性に関するシェリー先生の結論

終わりに

なぜ、余命宣告をされた学生は、最後に”命をかけて”、この講義を受けたのか!?
この学生は実在したようですが、この学生がどんな目的で講義を受けていたのか、私にはわかりません。

「死」とは何か[完全翻訳版](3,135円)ははっきり書くと、今の私にとっては読まなくてもいい本でした。

今の私にとっては、江原啓之著『スピリチュアリズムを語る』(1,320円)の方が参考になります。でも、頭で理解するのは簡単なのですが、心情的に納得できない部分も多くあります。
だから、スピリチュアリズム的に言えば、私は生まれたのかもしれません。

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